もう1つのコミュ障と、たこ焼きスタンスの話
いわゆる「コミュ障」には、2種類あると思っています。
緊張してたびたびどもってしまう人、相槌ばかりで話を前に進められない人、そもそも論点が噛み合わない人。いわば会話そのものに支障のある人です。
もう1つ。会話も対人コミュニケーションも問題なくできる(むしろしっかりし過ぎる)のに、とにかく不安だらけな人。
「あの時のあの返事おかしかったかもしれない」とか
「全然笑わせられなかったけどつまらない奴と思われたかもしれない」とか
「ああもう次会うの気まずいからこっちから連絡するのやめよう」とか。
おそらく相手は全く気にしていないであろう内容を執拗に掘り下げ、
自己嫌悪と対人恐怖を拗らせる人。
最近はこちらの人を「コミュ障」と呼ぶことの方が多いかもしれません。
私自身もこの人種で。
美容院で美容師さんと会話するのはもちろん、クリーニング屋とか歯医者とか、「マニュアル外の会話がちょっと発生する可能性のある場」に行く時は結構緊張する。(コンビニは大丈夫)
この手の人は、自分に自信がないんだと思う。
自信がないから、人に会うと「きちんとしなきゃ」スイッチが入る。
冗談を言ったりする余裕なんかない。「こんな時に冗談言って、変なやつ」と思われるかもしれないから。
ただ厳密に言うと、自分に自信を持てないことに対して、別に原因があります。
(むしろこういう人は自分に対するプライドがやたら高かったりする)
多分本当に欠けているのは、相手を信じること。
この人なら冗談を言っても大丈夫。
すべっても大丈夫。
「変なやつ」と思われても大丈夫。また自分と会ってくれる。
それが信じられないんですきっと。
だから無個性になっていく。
誰にとっても「嫌いでも好きでもない存在」になろうとする。
幻滅されたり、嫌われたりするのが怖いんだと思います。
ただその分、一度「この人は大丈夫」と認識した人にはとにかく心を開く。
そういう意味でも、ライターの仕事や就活はかなり良いリハビリでした。「世の中にはいろんな人がいて、どの人が変とか普通なんて基準は存在しない」ってことを体感で学びました。
そう、本能的に人を怖がってるので、口で「大丈夫だよ」なんて言われても意味ないんですよね。体感で学べたっていうのが大きかった。
初対面の人と話す経験を重ねていくうちに、会話自体を楽しめるようになって。
ウケようがすべろうがどっちでも良い。こちらが心を開いたら、相手も心を開いてくれた。
その時に、人とうまくコミュニケーションができないのは、自分が相手に嫌われるのを怖がっていたからだって気付いた。
そして、まわりのみんなはそうやってコミュニケーションをとっているんだって。
世の中ってそうやって回っているんだって。
恥ずかしながら本来小学校で学んでくることを、20歳超えてから理解しました。
話は変わりますが、中学でも高校でも、キラキラ女子のキャッキャウフフな会話が理解できませんでした。
「あの会話にどれだけの生産性があるんだろう」とか考えてた。
今思えば、そういうスタンスでいることを許してくれる友達とばかり一緒にいた気がする。
キャッキャウフフな会話は、それ自体がコミュニケーションなんです。
「新しいパンケーキが」っていう会話は、別に題材がパンケーキだろうがシュークリームだろうがたこ焼きだろうがなんでも良くて。
ただ、その会話をすることで時間を共有する。互いの価値観を認識する。
コミュニケーションって、多分そういうもの。
おそらく当時の私は「たこ焼きの話なら入る」というスタンスだったから、最後まで会話に入れなかったんだと思う。