就活は恋愛と一緒
私は就活が嫌いです。
いやまあ、好きな人はいないでしょうけど。
ただ私は、セミナーとか、OB訪問とか、そういうことに対する姿勢はふつうの学生より消極的だと思います。
就職したくないわけじゃありません。
むしろインターンなどを通して社会人の方とのやりとり、責任と締切のある仕事、マナー、その他もろもろの経験をしてみて実感しているのですが、私は明らかにアルバイトより正社員向きのようです(飲食のバイトは3カ月もちませんでした)。
社会には出たいけど就活はしたくない。
その理由について今回は書いてみようと思います。
先日、うちの学部のゼミ入室試験がありました。
身の程知らずにも副ゼミ長を務めている私ですが、さすがにゼミ試の時ぐらいは前線に駆り出されてしまいます。
そう、面接官をしなければならないのです。
面接自体は正直言って楽しいです。
やっぱり人の人生を決める大仕事にはやりがいを感じますし、自分自身の参考にもなります。
ただ、いざ面接が始まってみると・・・
違いがわかんない。
自己紹介をしてもらうと、
志望者の7割は「ゼミの研究内容に興味があり、ゼミ生と先生の信頼関係に憧れ、自分の長所である協調性を活かしてまわりのみんなと切磋琢磨して成長して行きたい」人で、
2割は「マーケティングに興味があり、ビジコンに参加した経験を持っていて、新たなことに挑戦することが好きな好奇心旺盛な所を活かして、まわりをひっぱっていきたい」人で、
1割はなんでうち受けたの?っていう人なんですよね。
なので、選考も何もない。
みーんなスーツ着て真面目な顔して真面目なことを言うので、全員立派に見えちゃう。
これが就活にも言えるわけです。
たとえばセミナーで、
「志望理由では結論から先に言いましょう」
と言ったとしましょう。
最低限の文章力があれば、主張がぶれない範囲でみんな結論から先に言うでしょう。
これはまだ良いです。
というか、結論から言った方が良いのは事実です。
一方で、
「自己PRではボランティアの経験を話しましょう」
と言われたとしたら、これまたみんな話すと思います。
何が言いたいかというと、
昨今の就活生は「教科書」を求めすぎだと思うんです。
就活の形は1人1人違います。
経験も違う。考え方も違う。もちろん志望先も違う。
大事なのは、まわりと同じことをすることじゃない。
自分を、どうまわりと違って見せるかです。
私は、就活は「恋愛」だと思っています。
バッチリ着飾って、厚化粧をして、不慣れな振る舞いで愛想を振りまいて。
そうやって恋人を作っても、おそらく長続きしません。
どこかでボロが出るもんです。
就活も一緒。
必死にデキるフリをして、経歴を華やかにして、無理に明るく振る舞って。
大企業の名前ばかりに惹かれて就職すると、「思ってたのと違った・・・」となってしまうのです。
あ、もちろん敬意を形に表すことは重要です。そこは人間として。
しかし、こちらがスッピンを見せても受け入れてくれ、かつ相手がトイレの電気を消さなくても不快にならない、そんな企業を見つけることも大事です。
なので、志望した企業に落ちても、そこまで悲観すべきではないと思います。
好みが合わなかっただけの話です。
むしろ就職してしまう前に気付かせてくれた企業側に感謝すべきではないでしょうか。
私達はどうしても「この会社しかない!!」と思いがちですが、企業側はその点プロです。
そういう意味では「受かった」「落ちた」という表現も適切ではないかもしれませんね。
エントリーシートは「ラブレター」、面接は「告白」、合格したら「OKだった」、落ちたら「フラれた」と言うようにすると、就活も一気に楽しくなると思いませんか?
(用例)
A「サイバー●ージェントがラブレター受け取ってくれたからさ、今しかないと思って告白したんだよ!」
B「マジ!?どうだった!?」
A「フラれた・・・」
B「そっか〜まあ企業なんて星の数ほどいるよ!次頑張れ!」
ほらね(微妙)。
最初に戻りますが、みんなと同じようにセミナーに行き、みんなと同じ情報を得て、それに基づいてみんなと同じようなエントリーシートを書く。
それじゃつまらないじゃないかって話です。
「私はこんな個性があって、こんな夢があって、御社に入ったらこの仕事がしたい!」って胸を張って言えた方がカッコいいですよ。
だから私は、みんなと同じ就活は嫌い。
自分なりの方法を模索していこうと思います。それが本来あるべき「就活」ですし。
最後に、私が「スゲェ」と思った動画を貼っておきます。
芸大大学院の映像研究科の学生さんが作った作品。友人に教えてもらいました。
言うまでもないですが今回の内容はめちゃくちゃ個人的な見解に基づく主張ですので、どうか参考にしないでください。
あ〜あ、内定降ってこないかな〜